DVD「善き人のためのソナタ」を観た
とても見応えのある映画。2006年のドイツ映画で、アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。
ベルリンの壁が崩壊する前の東ドイツを舞台にした映画だ。
社会主義を標榜する東ドイツ政府。しかし、その体制を維持するには様々な問題を圧殺しなくてはならない。この映画の冒頭に語られるように、10万人の職員と、20万人の密告者によりこの体制はかろうじて保たれている。つまり、国家保安省シュタージによる言論統制による不条理な世界での物語だ。
容疑者の尋問のシーン。それから尋問の仕方についてのヴィースラー大尉の講義のシーン。この非情なヴィースラー大尉と国家権力の恐怖が初っ端にドーンと出てくる。
主役のヴィースラー大尉はガチガチの社会主義者。今の体制と自分の仕事に対して誇りを持っている。
この体制にとって一番困ることは、市民が自由に考え行動することだ。国がちゃんと皆のことを考えてあげているのだから、余計なことを考えずにただ従っていればいいのだというのがこの国の在り方。
党の上層部にとっては都合のいい仕組みといってもいい。だから、この仕組みに少しでも異を唱える者は容赦なく弾圧する。西側との接触の嫌疑をかけられた劇作家のドライマンは、証拠をつかむために家中に盗聴器を仕掛けられ、監視されることになる。ドライマンが留守の時に10名近い所員が来て盗聴器を仕掛けるのだが、それを見た隣人に一言、「しゃべったら娘は卒業できなくなるゾ」。つまり、個人の情報は全て管理しているのだ。恐ろしい場面の一つ。
こうして、ドライマンの生活の24時間が盗聴されることになるのだが、直接指揮をとり、自らも盗聴するヴィースラーの内面の変化が、この映画の主題だ。
ドライマンとその恋人であり女優のクリスタの愛の語らい。友人たちとの芸術に関する自由闊達な議論。
今の体制をなんとかしなくてはならないといった熱い思い。友情や愛情に満たされた空間と自己を偽らない勇気。交代制で行っている盗聴から、自分の殺風景なアパートに帰ってくるヴィースラーの心に何か変化がきざし始めた。自分のアパートに娼婦を呼ぶシーンがあるが、内面の殺伐としたむなしさをうまく表現している。呼ばれた娼婦は、事が済むと時間ぴったりに帰っていく。もう少し居てくれというヴィースラーに対して、また呼んでねと笑顔で振り返り部屋を出ていく娼婦。
党から資格をはく奪され無為な日々を送らざるを得ない演出家のイェルスカが自殺をしたのを機に、ドライマンは仲間の助けを借りて、西側の雑誌に東ドイツの現状のルポ記事を投稿する。
当然、一部始終を盗聴されているのだから犯人としての証拠をつかまれているはずなのだが、これをヴィースラーが握りつぶしてしまう。ドライマンは事を実行する前に、盗聴されていないかを確かめるためにがせネタを流すのだが、これもヴィースラーが故意に握りつぶしていたのだ。そして、決定的な証拠であるタイプライターもヴィースラーが隠匿してしまう。これらの行為は上司の疑惑を招き、最下層の閑職に追いやられる。しかし、ベルリンの壁が崩壊してから出版された「善き人のためのソナタ」というドライマンの自伝の扉にヴィースラーに対する感謝の言葉を見て満足げにうなずくところでこの映画は終わる。ヴィースラーの名前は暗号名で記載されているので、この本の感謝の言葉は、ただ一人ヴィースラーだけに向けられたものである。
権力の象徴として、ヘムプフ大臣というのが出てくるが、正に自分の欲求だけのために国はあるといった類の人間で、こんな人間に支配される世界の不幸が伝わってくる映画でもある。

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DVD「連合艦隊」を観た

81年東宝映画。出演陣は豪華な顔触れ。中井貴一のデビュー作でもあるらしい。
真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦、レイテ島突入、戦艦大和の沖縄戦投入と、大東亜戦争の日本海軍の興亡を描く一方、それを背景とした群像劇となっており、結構心に響くシーンもあった。
戦闘機や軍艦の戦闘シーンが非常にチャチで白ける部分はあるが、その戦闘シーンはこの映画の本質的な部分ではない。何故、日本があのような戦争をしてしまったのか、そしてそれを収拾できなかったのか等、日本人のメンタリティがよくわかる映画だ。それは末端の将兵にも言えるし、一般の庶民にも言える。戦艦大和が沖縄戦に投入され、片道燃料だけで沈められるために出撃させるシーンで、丹波哲郎が総長に向かって「これでいいのですね」と尋ねる。総長は「やむを得ない」と答えるのだが、それに対して、三国同盟締結の「やむを得ない」から始まって、この「やむを得ない」で終るのですねという丹波哲郎のセリフが、この映画の全て表現しているような気がする。
真珠湾攻撃に象徴されるように、これからの戦争は航空機が主体となり、空母こそが重要な海の主役になると自らが示しておきながら、一方では大型戦艦による戦艦同志の戦いが海軍の仕事であるといった古い考えから抜けられない上層部。5年もの歳月と莫大なお金をつぎ込んだ戦艦大和。もはや時代遅れの兵器にもかかわらず、そこに海軍の誇りと魂とをこめる。最後まで温存していた戦艦大和だが、戦闘に加わることもなく、何ら戦果をあげることもなく晒しものにするには忍びないと、死に場所を与えるために沖縄戦に投入する。如何にも情緒的だ。
この戦争に関して言えば、軍隊の上層部は勿論、庶民にいたるまで、合理的な判断とは別の基準で生きている。そうでなければ、神風特攻隊等ということもないだろうし、死ぬとわかっている作戦に赴くこともないだろう。この映画でも、死ぬとわかっている戦闘を強行するのは作戦とは言えないという意見も戦わされるのだが、抗しきれない流れにのまれるように合理性は排除されていく。
この映画に直接出てくるわけではないが、一億総玉砕などといって、竹やりの練習に励む図などはやりきれない。玉砕などという言葉も大東亜戦争までなかった言葉だと聞いたことがある。軍隊で、虜囚の恥をさらすことを禁じているために、勝ち負けとは関係なく最後の最後まで戦わざるを得ず、結果全滅してしまう。そして、最後の一兵になるまで戦う姿が尊いとされ、兵隊の鏡とほめたたえられる。最初の全滅はアッツ島で、この時玉砕という言葉が使われ美化された。アメリカとの物量の差を、精神的なもので埋めようとする錯覚は、当然のごとく成り立たない。にもかかわらず、誰にも止められなかった様子がなんとなくわかる映画だ。
古手川祐子、森繁久弥、谷村新司の挿入歌。
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DVD「皆殺しの霊歌」を観たが

つまらなかったというより、腹が立った。
佐藤充が五人の女を次々に犯した挙句、残忍なやり方で殺害していく。
何とその理由が、縁もゆかりもない顔見知り程度の少年が、この五人の有閑マダムによって強姦され、それを苦にして自殺したことに対する復讐だというのだ。
もっとましな理由は思いつかなかったのだろうか。これじゃ、自分の変態的欲求を満足させるための猟奇殺人に過ぎない。更に、殺人に至る道具立てやもっていき方がチープだ。ハラハラドキドキのサスペンス性が皆無。いちばん気に入らないのは、この犯人が、さも正当なことをしているような描き方をしていることだ。殺された五人は遊び人で反道徳的ではあるが、それこそ殺されるようなことをしたわけではない。クリーニング屋の少年に力づくでセックスを迫っただけなのだ。女が男を強姦できるものなのだろうか。それはともかく、その五人をもったいぶって、順番に殺していくというストーリに説得力はない。
倍賞千恵子がこの犯人を好きになるというのも、あり得ないし許せない。犯人と知っての上だからなおさらだ。そこには安っぽい倍賞千恵子の境遇が、とってつけたように挿入される。
音楽も笑ってしまう。そのセンスのなさはひょっとしてこの映画はコメディーか、何かのパロディーかと思ってしまう程。
何故、一笑にふせばいいこの映画に文句を書き連ねるかというと、倍賞千恵子が出ているからだ。
こんな映画に出てほしくなった。
また、結構面白かったと言っている人もいるのが気にかかるので、今現在の感想をぶつけてみた。
1965年の「霧の旗」は最高に良かった。倍賞千恵子が、優しさの陰に隠れた芯の強い一途な性格と、ある意味内に秘めた激しい情熱を表現して、一つのキャラクターを演じきった。日頃のイメージからはかけ離れている役だ。
1968年の「皆殺しの霊歌」は似て非なるもの。倍賞千恵子の演技も無駄骨。
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DVD「イヴの総て」を観た

1950年の作品。見応えのある映画で深く心に残った。ひとりの貧しい女が、演劇界のトップ女優にのし上がる映画だが、サクセスストーリーではない。手練手管を駆使して、自分の居場所をつくり、地位を固めていく。そのイヴの総てが語られている映画なのだ。
映画は、演劇の最高の栄誉ある賞の授賞式の場面から始まり、イヴがその賞に輝き、ホテルの自室に戻るところで終る。
演劇会の大女優ベティ・デイヴィスの出待ちをする女がいる。みすぼらしい身なりと、毎晩のように出待ちをする様子に興味を覚えたベティの友人であるセレステー・ホルムは、声をかける。
その受け答えと、演劇に対する情熱にほだされて、ベティ・デイヴィスの楽屋に連れていく。
美人で、気のきくこの女性、アン・バクスターを気に入ったベティは身の回りのことをさせるために雇うことにする。ベティ・デイヴィスとその恋人で、演出家のゲイリー・メリル。それにセレステー・ホルムとその夫で劇作家であるヒュー・マーロウは古くからの仲間だ。その仲間の中でも、アン・バクスターは存在感を現してくる。献身的な働きぶりを喜ぶ一方、周りからちやほやされるアン・バクスターに対して、嫉妬の感情を覚え始めるベティ・デイヴィス。
ベティ・デイヴィスは自分の年齢をとても気にしている。恋人でもある演出家のゲイリー・メリルとは8歳も違う。もう、40歳になるのだ。
そして、女としての幸せとは何なのだろうかと考えてしまう。世間は大女優としてもてはやしてくれるけれど、家に帰れば一人っきり。ベットの横には誰もいない。
ベティ・デイヴィスがアン・バクスターを疎むようになるのとは逆に、他の三人に対しては力添えを惜しまないと言わしめるめでに、信用を築き上げていく。
ある日、ベティ・デイヴィスの代役が産休を取るということで、その後釜に起用してもらえるよう頼み込む。オーディションの出来栄えは上々。その代役の座を射止める。それは確かに実力といえる。
アン・バクスターは、自分にはチャンスがなかっただけなのだと考える。そのチャンスさえ与えてくれれば。ある日、ベティ・デイヴィスがトラブルで舞台に穴をあけてしまった。これはアンにとってはまたとないチャンスだ。そして、この代役はそこそこの評判となった。高名な批評家をして好意的な記事を書かせることができた。若さを武器に、新しい時代を担う新人女優の出現として売り出す。この批評家にも今譚があってのことだ。このことを境にアン・バクスターは、自分の野望を隠さなくなる。
そして、ゲイリー・メリルにもセレステー・ホルムの夫であるヒュー・マーロウにも色仕掛けで自分の想いを達成しようとする。しかし、一時ばらばらになりかけた4人の友情は、アン・バクスターの本性を見て、元に戻る。
アンに誘惑されていたヒュー・マーロウはベティ・デイヴィスと結婚することを決心し、ベティは女の幸せを得た歓びの中で、自分ではなくアン・バクスターの授賞式を白けた目で見つめる。あとの三人も同じだ。
そして、最高の賞を得たはずのアン・バクスターは誰もいない自分の部屋に戻っていく。
いや、誰もいないはずの部屋には、かつての自分と同じようにスターへの道を夢見ている女の子が待っていた。

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DVD「スカイライン-征服-」を観たけど

たまには新しい映画も観ようと借りてみた。
もともとデストピアものは好きではないが、これはひどすぎて感想を述べる気にもならない。
唯一、間違って2度目を観ることがないように記録しておくだけだ。
面白い映画、感動した映画は覚えているので、間違って2度観ることはないが、つまらなかったり、印象の薄い映画は、しっかりタイトルでも覚えておかないと、間違って2度借りてしまう場合がある。
しかし、よくこんな映画が劇場にかかり、DVDにまでなるもんだと呆れてしまう。
変な終わり方をしているので、続編でも出来るのだろうか。そして今回観た映画はモノローグに過ぎないなどというのではないだろうな。
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DVD「恋愛アパート」を観た
1951年の映画。ウイリアム・ランディガン、ジューン・レイヴァー主演のハートフルなラブコメディー。
ここに脇役で、マリリンモンローがちょっと顔を出す。DVDのパッケージで、あたかもマリリンモンローが主演のように、彼女の写真で飾られているものもあるが、実際にはチョイ役だ。
マリリンモンローを観ようと思ってこのDVDを借りた自分だが、騙された感じよりも、儲けたと思う方が多かった。
夫が戦争から復員してくる。ちょうどその時、留守を守っていた奥さんは、夫から送られてくるお金を頭金に借金してアパートを手に入れ、てんやわんやの最中。作家志望の夫の役に立ちたい一心で、彼女なりに考え、一大決心の末のことだ。しかし大家になったはいいが、このアパートは欠陥物件。次から次に問題が起こり、お金がかさむことになる。
妻からの手紙の住所を頼りに、戦地から帰ってきたウイリアム・ランディガンだが、その住所だけではなく、アパート全部が自分たちのものだと知らされる。しかし、2年半ぶりに妻と会えるうれしさに深く考える暇もない。愛し合う二人は抱き合いこの瞬間のよろこびを噛みしめる。
しかし、手に入れたばかりのアパートは片付いておらず、何かと落ち着かない。
そして、一段落すると、この物件を借金までして購入したことがよかったのかどうか疑問が出てくる。
毎月の返済がいくらで、家賃収入がいくらかとか、古い物件なのでその修理代や維持管理にかかる費用がどのくらいかとか。とりあえず店子は確保できているらしいが、どうもその辺が曖昧だ。
若い素人の女性の買い物だから、何か騙されたりしていないとも限らない。夫の心配が募る。
その心配はあとで現実のものとなり、二進も三進も行かないところに追いつめられる。
それが、うまく解決されるのだが、その方法が如何にも気が利いていてお洒落だ。
このプロットを思いついただけでも、この映画の成功は約束されたのではないだろうか。
この「恋愛アパート」には若い二人がアパート経営ですったもんだする様子と、そこに店子たちが絡んで繰り広げられる人生模様がコミカルに描かれている。
中でも、フランク・フェイ演じるところの謎の人物と、それにまつわる話はとても面白く、愛し合う若夫婦とともにこの映画のテーマとも言えるものだ。
ウイリアム・ランディガンとジューン・レイヴァーは美男美女。当然、男である自分はジューン・レイヴァーに目が向く訳だが、他の映画があまり見つからない。「虹の女王」という映画があるらしいが、手に入らない。昔の映画ばかり観ている昨今だが、やはり50年60年生き残ってきた映画は面白い。逆に日々埋もれていく映画も多く、観たくても二度と観れない映画もたくさんあるということだ。

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DVD「ライフイズビューティフル」を観た

胸に響く映画を観たくて、以前いたく感動した記憶のあるこのDVDをかりてみた。
結論的にはがっかり。最後まで観るのがしんどかった。
何故、以前感動したのだろうか。観た時の年齢、状況など、そのシュチエーションによって評価って変わってしまうものかもしれない。案外あてにならないものだ。
先ず、主演のロベルト・ベニーニの顔も含めたキャラクターが鼻についてしょうがない。年がら年中ペラペラおしゃべりしている、独りよがりで人の迷惑を顧みない無神経男が何故もてる。
この主人公が略奪婚に近い形で、裕福な家の娘と結婚するというのは、画面から受ける印象としてはどうしても不自然で納得できない。こんな男の何処にひかれたというのだろうか。相手役のニコレッタ・ブラスキも、若々しさ瑞々しさがなく魅力に欠ける。という訳で、前半部のコメディータッチの部分でもちっとも笑えない。役者に好意と共感をもてないからだと思う。
後半、結婚して子供ができ、小さいながら夢であった本屋を開店する。
時代はちょうど第二次世界大戦の終息まじか。
しかし、残念ながらユダヤ人である主人公はナチスによりとらえられ、幼い男の子とともに強制収容所に送られる。妻のニコレッタ・ブラスキは自身ユダヤ人ではないが、あえて夫と子供が乗せられた汽車に乗り、同じ強制収容所に行く。
そこでコメディーの第二部なのだが、こちらもあまりにも現実離れしてお茶らけていて共感できない。
強制収容所における言語に絶する状況はこのようなお茶らけた話となじまないし、あえてそんなところを舞台に選んで何を言いたいのかと思ってしまう。
どんな状況でも明るく勇気をもって生き抜いていこう。自分の大切なものを守るためには何物をもいとわない、ということを言いたいのかもしれないが、きわめて安っぽく心に響くものはない。
子供は可愛らしかったが、ストーリーに無理があることには変わりない。
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DVD「オリエント急行殺人事件」を観た
トルコのイスタンブールからパリ経由のカレーまでオリエント急行3日間の旅。
その車中で殺人事件が起こる。たまたま乗り合わせていた名探偵ポアロが犯人を突き止める。
おなじみアガサ・クリスティーの推理小説が原作の映画。
「百万長者と結婚する方法」のローレン・バコールつながりで借りてみた。
前に観たことのある「ナイル殺人事件」つながりではない。
容疑者を一室に集めて、事件のなぞ解きをし、犯人を暴く。この手の手法の発明者がアガサ・クリスティーかどうかは知らないが、一つのスタイルとして確立している。横溝正史の金田一耕助ものなどにも多く出てくる。
自分のペースで読む本の場合はいいが、映画となるとどうだろう。
字幕で観たので名前が覚えられず、ついていけなかった。だからと言って、犯人がわかってしまえば、もう一度観ようとは思わぬ類の映画だ。それにポワロのキャラクターも好きになれない。役者も。
あくまでも個人的な趣味であり、意見であることは断るまでもない。
1974年の映画で、ローレン・バコールはお婆ちゃんになってしまっていた。
そして、あの「カサブランカ」「誰がために鐘は鳴る」のイングリット・バーグマンがこんなになっちゃうなんてと悲しい思いがした。
アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリー等キャスティングは豪華。
その中で、目に留まったのがバネッサ・レッドグレーヴ。すらりとして品のいい感じの美人だ。
あと、この映画で印象に残ったところといえば、西洋の文化と東洋の文化の交差点であるイスタンブールの駅のシーンくらい。いろいろな国の人々でごったがえす構内に、確か日本人もいた。

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DVD「モンキービジネス」を観た

1952年の映画。
主演はケーリー・グラントとジンジャー・ロジャース。
ケーリー・グラントは製薬会社に勤めている研究者。アンチエイジングの秘薬の開発に寝食を忘れて打ち込んでいる。社長の期待も大きい。だいぶいいところまでこぎつけたが、チンパンジーを使った動物実験だけでは製品化に踏み切れない。そこで、人体実験に踏み切る。つまり、自分で試してみるのだ。
ここからテンヤワンヤのドタバタ劇が始まる。
自分で調合したつもりの薬が、実は檻から自分で鍵を開けて逃げ出した賢いチンパンジーが、でたらめに調合した薬だったのだ。
このチンパンジーの演技にはちょっと驚かされる。実際にこんな演技ができるなんて俄かには信じられない。CGなどない時代だし、どのように撮影したのだろう。もうひとつ、赤ん坊が同じく演技するシーンも不思議な気がした。
チンパンジーが調合した薬を飲むと若がえる。外見はそのままだが中身が若返る。
自分の身をもって試そうと薬を飲んだケーリーゲラントは、身内に若々しいエネルギーを感じる。
社長秘書のマリリンモンローを連れ出して、そのエネルギーを発散する。髪を短く刈り上げ、派手なジャケットを新調し、スポーツカーをすっとばす。しかし、薬の効き目は長くは続かない。
どうやら、ケーリー・グラントが新薬の開発に成功したらしいと聞いた社長は大喜び。
ところが、その薬を間違って飲んでしまったケーリー・グラントの奥さんのジンジャー・ロジャースも大暴れ。2度目は奥さんと一緒に間違ってこの薬を飲んでしまうケーリー・グラントだが、初めての時よりも更に若返り、10歳くらいの男の子になってしまう。体は大人のままインディアンごっこに夢中な姿は笑える。
そんなこんなで、全編こんな調子のファンタスティックコメディー。
言えることは、マリリンモンローが出演していなければ、この映画を観ることはなかっただろうということと、2度見ることはないだろうということだ。
マリリンモンローの名前で結構商売をしている映画も多い。
このころから既にマリリンモンローはマリリンモンローで、色っぽくコミカルな面は将来の大女優を約束するような魅力と存在感がある。当時は、誰も伝説的な大女優になるとは思っていなかったようだが。
どのみち、マリリンモンローがちょっとでも出ている映画は全部観てみたいと思っているので、文句はない。
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DVD「ヘレン・オブ・トロイ」を観た

1955年の歴史スペクタクル映画。
ホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ戦争を映画化したもの。
何故、この映画を観ようと思ったかというと、出演者にブリジット・バルドーの名前があったからだ。
というよりも、ブリジット・バルドーが出演している映画のリストの中に、この映画があったという訳。
ヘレンの侍女として確かに出演していたが、端役もいいところ。あまりにも若く、初々しくはあるが目をひくようなものはなかった。
この映画は、ある程度ギリシャ神話の素養があった方が楽しめると思う。ブラッド・ピットの「トロイ」よりは史実に忠実で、ある程度きっちりつくられているようだ。
ブラビの「トロイ」も観ているが、だいぶ筋が違うような気がする。記憶がだいぶおぼろげだが。
繁栄を誇るトロイは、外敵からの侵略を防ぐために堅牢な城壁をめぐらせ、豊かな生活を謳歌していた。
一方、ギリシャの諸国は、その勢力を拡張すべく活発に策動していた。中でもスパルタはその急先鋒で、豊かなトロイを虎視眈々と狙っている。
当然、そのような状況はトロイ側も承知。いずれは戦争も避けられないとの空気が支配的だ。
ただ、トロイの王の息子(王子)パリスは和平の道を主張し、自らその使節としてスパルタに赴く。
しかし、途中で嵐に会い遭難してしまう。それを救ったのが、スパルタ王の妃、ヘレン。
パリスはヘレンを一目見たとたん、その美しさに魂を奪われてしまう。
ヘレンにかくまわれたパリスだったが、素性が知れ命からがら逃げる。
その時、ヘレンを略奪したから大変。スパルタにトロイを攻める口実を与えてしまった。
もとよりヘレンも、夫であるスパルタ王のメネラウスを嫌っており、パリスとの出会いに命を捧げても悔いがないと心に決めたのだ。
傾国という言葉があるが、ヘレンはまさしくそれだ。不倫、略奪婚、男を狂わせる美女の代名詞ともいえるトロイのヘレン。
敵対する国の王の妃と不倫に陥る。そして略奪婚に及ぶ。その結果戦争となり、何千、何万人もの人が命を落とす。すごい話だ。
トロイ戦争は、10年間にも及ぶ。その戦闘シーンもこの時代の映画にしては大規模で迫力もある。
スパルタの王メネラウス。その兄のアガメムノン。オディッセイ。アキレス。ユリシーズ。
トロイの王子パリスの兄のヘクター。名前だけは聞いたことのある英雄がたくさん出てくる。
アキレスとヘクターの一騎打ちは、ブラビの「トロイ」の印象が強く、鮮明に覚えている。
戦う前から分っている勝負。何しろアキレスは不死身の最強の勇者なのだから。
アキレスは倒したヘクターの両足を縛り馬で引きずりまわす。それを城壁の上で観させられる父親の王と王女、それに妻。
最後にこう着状態の戦争に終止符を打ったのが、有名なトロイの木馬だ。
攻撃をあきらめて、全軍船に乗って退却と見せかける。その時巨大な木馬を残していく。
トロイの人々はそれをアテナの贈り物だとして、城内に入れてしまう。
その木馬の中には・・・。
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