DVD「零戦燃ゆ」を観たが・・・
零戦の空中戦や、空母めがけての突攻のシーン。あるいは太平洋に展開する日米空軍の戦闘の展開を期待して借りてきたDVDだったが、感想を述べるまでもない駄作。
何といっても、筋書き(シナリオ)がちゃち過ぎて、リアリティが感じられない。断片的な史実のつまみ食いで一貫性もなければ、言わんとしている事の焦点も定まらない。
特撮も子どもだましで迫力はないし、早見優の演技の下手さにもうんざりする。大体、顔立ちからして役柄と合わない。これは何も早見優の責任ではない。起用した方の間違いだ。
結構感想を述べてしまったが、間違ってもう一度見ないように題名だけは記憶にとどめておこう。
カラオケのレパートリー曲のをユーチューブを観ながら選定している。
テレサ・テンの「つぐない」を聴いて改めてその歌唱力に感動した。昨日今日とテレサ・テンの曲をいろいろ聴いては、心を揺さぶる歌声と美しさに魅了されていた。
特別な美人ではないかもしれないが、チャーミングだ。人間的な魅力が備わっている感じがする。
歌も、単なる上手というのではなく、心の底から訴えかけるような迫真の歌唱だ。
不謹慎かもしれないが、すでにこの世にはいないという事が、なおさらあこがれを刺激する。
42歳で亡くなったそうで、あまりいい死に方ではなかったように記憶している。
しかし、死んだ人は永遠に年をとらない。永遠の歌姫として記憶の中にとどまる。
テレサ・テンはいろいろな歌手の曲のカバーもしているが、どれも素晴らしい。
「釜山港へ帰れ」もレパートリーに加えようと思っているが、チョン・ヨンピルの音源が見つからないので、テレサ・テンで行こうかと思っている。もともといい曲だとは思っていたが、こんな素敵な曲なんだと改めてテレサ・テンに教えられた。矢代亜紀も結構いい。本当に歌がうまく人間味の豊かな人は何を歌ってもそれなりに魅力的だ。徳永英明のようなのはいけない。
「空港」もいいし、「愛人」もいい。
「つぐない」と「釜山港へ帰れ」は決定。
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DVDで「自虐の詩」を観た
貧乏な家に生まれ、母親にも捨てられ、おまけに風来坊の父親は銀行強盗を働き、刑務所へ。
こんな主人公の望みは幸せになりたいということだ。私は幸せになれるだろうか。
友達と言えば、同じく学級費も払えないような貧乏で、いつも周りの軽蔑の眼を一緒に耐えているアジャコングだけだ。二人は一生の友情を誓いあうが、すぐに別れが来る。
主人公は父親もいなくなった家をあとに東京へと出る。中学を出るかでないかの田舎の少女が頼る人もない東京に出るということは、その行く先は言わずもがなだろう。
この時期に不思議な男と出会う。勝手に主人公のボディーガードのようにふるまう男。
なぜ私に付きまとうのという質問に、愛しているからと答える男。
この部分は回想シーンで出てきて、なぜ主人公がこれほどまでにこの男、安部寛を大切にしているかの説明になっている。
現在形では安部寛は仕事もせずにブラブラしており、主人公の中谷美紀がラーメン屋で働いてやりくりしている。要するにひもだ。ラーメン屋で働いている女に食わせてもらっているのだからひもともいえない。もともとがヤクザで鳴らした男だから、急に堅気になってもどうしていいか解らないといったところだろう。
何か気に入らないことがあるとすぐ喧嘩はするし、家でもしょっちゅうちゃぶ台をひっくり返す。
ちゃぶ台をひっくり返すシーンは何度となく出てくる。この映画はコメディータッチで描かれており、このシーンはひとつの目玉だ。
こんな生活にひたすら耐えて、優しいまなざしを失わない中谷美紀。
ここでも幸せとは程遠い主人公。
中谷美紀に思いをよせるラーメン屋の主人や、中谷美紀の安部寛に対する献身と非道に耐える姿に同情する家主のカルーセルマキ。そこに刑務所を出所してきた主人公の父親の西田俊之が加わり、物語が陰鬱にならずに進んでいく。
傍から見たのでは解らない男女の仲というのが二人の演技から伝わってくる。
どんなことをされても失われない優しいまなざしの中谷美紀と、ひどい仕打ちをしながらも薄情ではない安部寛。勿論美男美女の組み合わせということもあるが、ラーメン屋の主人が入り込むすきなど一部もない。
中谷美紀は妊娠し、それを安部寛に伝える。しかし、安部寛は何とも言わない。うれしいともうれしくないとも生めとも生むなとも。
そんな悶々としているときに歩道橋から落ちて、救急車で運ばれる。
それを聞いた安部寛は病院に駆けつける。
このシーンで、病院のベットの枕元に集まった人が、あなたは一人ではない、あなたは不幸ではないと語っている。
幸い、お腹の子供に異常はなく、母子ともに大事には至らなかった。
映画は、生まれた子供と三人で海を眺めるところで終る。
そして、幸福も不幸も同じく大切なもので、人生は生きる価値があるという言葉で締めくくられる。
もう一つの感動的シーンはすっかり裕福になったアジャコングとの再会だろう。
ハンカチはやはり必要だった。
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ゆっくりじっくり
今年になってから一冊も本を読んでいない。音楽にしても、映画にしても、小説にしてもあまりにも情報源が多すぎて、何を聴いて何を観て何を読んだらいいのか皆目見当がつかない。
それに自分の持っている時間を考えると膨大な量のDVDや本に圧倒されてしまう。
所詮は暇つぶしであり、楽しみなのだから、そう堅く考えることもないだろうとも思うのだが。
もしかしたら、今の精神状態が思考や行動に表れているのかもしれないし。
本の聖書読みというのがあるらしい。要するに同じ本を何回も何回も読むのだ。こまごましたところまで頭の中に入り、その人の血肉になるまで。
確かにそう言う読み方もある。ジャンジャン読み飛ばしていったところで、その数はたかが知れている。
それならば、本当に自分に合った、心に響く本をじっくり読むほうがいいかもしれない。勿論、どっちかに決めなくてはならないわけではないが、今年は本を買わないで、家にあるもの、読んだことのある本の再読をしていこうかな、などと思っている。
映画もそうだ。どうも次から次に観て行っても変わり映えがしない。
印象に残った映画を2度3度観るようにしようと思っている。
カラオケで「群青」の練習をしている時、ユーチューブの映像でゼロ戦、つまり神風特攻隊をバックに流しているものがいくつかあった。それを観ながら練習していると、胸に迫るものを感じた。
ちょうど家にあった百田尚樹の「永遠のゼロ」を読み始めた。
前回もとても面白かった記憶がある。再読して更に、太平洋戦争についてもっともっと知りたいと思うようになった。ミッドウエー海戦やガダルカナルの戦闘など、もっともっと詳しく知りたいと思う。
死んでいった人々のことを忘れてはいけないと思った。
先を急がない読書。読み終わっても、もう一度読むことが決まっていれば何も急ぐことはない。
面白さで、知らず知らず先へ進む分には問題ない。
自分にあった本に巡り合うことがこれからの読書の目標だが、候補作品は手元にも結構ある。
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カラオケの練習のしすぎで声がかれた
夕食の後、カラオケの練習をする。
ところが、夕方になると声がかすれてくる。
原因は、車の中でもカラオケの練習をしているからだろう。
3時間も4時間も声を出していれば、のどがかすれて痛くなるのも無理はない。
そのうち飽きてくると思うが、今は一番のっている時だから、しょうがない。
ただ、鼻歌程度ではなく、歌詞を覚えようと思って歌っていると、どうしても運転がおろそかになる。
運転中のケイタイよりも悪いかもしれない。
現に、曲がるところを間違えたり、最短ルートが思い浮かばなかったりする。
普段は、ラジオを聞きながらの運転だが、ラジオの場合はむしろ余計な想念が浮かばないのでスムースな運転ができる。
カラオケの練習は、ユーチューブの検索窓に曲名を入れ、出てきた映像から最適なものをチョイスする。
3回一緒に歌って、一回は黙って聴くというパターンだ。1曲は大体3分半から4分だから、1曲につき15分程度かかる。それを大体3曲毎日歌う。2曲が今週覚える曲で、1曲は来週の予定曲だ。
今週覚えようと思っている曲は「哀愁のカザブランカ」と「夢一夜」で、来週の予定は「雨のバラード」と「桃色吐息」だ。桃色吐息は高橋真利子のキーだと少し低い。佐藤隆のキーがちょうどいいのだが、編曲が高橋真利子とは違うようだ。同じなら佐藤隆を先生にするが、そうでなかったら高橋真利子バージョンでいく。アレンジはやはり重要だ。
ユーチューブにはいろんなバージョンがそろっているので結構楽しめる。お手本にするのはレコーディングした音源だ。コンサートで歌っているのは必ずしも最上ではない。ライブをお手本にするときはできるだけ若い時のものにする。その楽曲がヒットした要因がすべてそこにそろっているからだ。
何十年も歌っている歌はどうしても崩れて独りよがりになってしまう。何千回も歌えばそれは飽きてくるだろう。でも聴く方は違う。ヒットした時の強烈なインパクトと聴きなじんだ歌い方がいい。
一番いいのはカラオケのように歌詞が出てきて、しかもレコーディングと同じ音源が流れているやつだ。
そして、その曲に合わせた映像がきれいなら言うことはない。
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車も寒がっている
ここのところ車の調子が悪い。とくに走り始めがもたつく。寒さのせいかもしれない。
アクセルを踏み込んだ時、車がスーと先に行かない。イライラするし、危険でもある。
エンジンの噴き上がりが悪いというのか、アクセルにエンジンが反応しないというのか、クラッチが滑っている感じもする。いつもこういう状態をほったらかして、車をだめにしてしまってきた。
大概は10万キロでだめにしてしまってきている。大事に乗れば2倍も3倍も走るだろうに。
しかし、メンテナンスをきちっとするにはそれなりの費用がかかる。
車検のお金がなくて、何カ月も車検をとっていない車を運転していたこともあった。ガソリンスタンドに行くのが憂鬱だった。フロントガラスに張った車検標章を目ざとく見つけて、車検を勧誘してくるスタンドもあるが、期限が切れている場合はどういう対応をするのだろう。黙っているのだろうナ。
今の車は、前の車が途中で動かなくなってしまったので、急遽買うことになったもので、買ってから一年ぐらいになる。
出先で動かなくなり、故障した近くの修理工場で修理したが、翌日にはまた動かなくなって、いつも車を世話してもらっているところまで、JAFにけん引していってもらったら、三万五千円ぐらい取られた。それに、前日の修理代がやはり三万五千円ぐらい。合計7万円が何の役にも立たず、結局車を買うことになってしまったのだ。
お金がないので、なるべく安い車をさがしてもらったが、なかなか程度がいい車を世話してもらった。
ただし、車検が一年しか付いておらず、2月に車検が来てしまう。
今回車検をとって、あと二年は乗りたい。
今この車に壊れられると困ってしまう。
早速イエローハットに行って診てもらった。
予想はオートマオイルの交換だ。
しかし、オートマオイルは変えなくてもよさそうだ。
エンジンオイルの漏れが見つかったので、エンジン内を清掃して、オイルを粘性の高いものにして、漏れを防止する何かを入れたようだ。オイルは2週間ぐらい前に変えたばかりだが、一番安いオイルを入れたので、古い車にはよくなかったみたい。
1万2千円ぐらいかかったが、ウソみたいに症状が改善した。
来月の車検の時、オートマオイルの交換とプラグの交換、それにファンベルトの交換が最低でも必要だろう。
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ユーチューブでカラオケの練習
去年の暮あたりからカラオケの練習をしている。忘年会の2次会で何曲か歌ったのがきっかけとなった。歌えばそれなりに楽しい。人を押しのけてまで歌う方ではないが、順番が来れば歌うし、勧められれば歌う。前から何で歌詞が覚えられないかと思っていた。レパートリーらしきものはあるが、一曲たりとも字幕なしで歌える曲が無い。以前、何曲か完全に歌詞を覚えて歌えるようにしたいと思ったことがある。今回は本気で取りかかろうと思う。脳の活性化のためにも歌詞を覚えるのはいいことだろう。
今、週2曲の割合で練習している。
改めて、詩を見ると、なかなか素敵なものが多く、奥深い。
今週の課題は「哀愁のカサブランカ」と「夢一夜」。
すでに覚えた。
「哀愁のカサブランカ」は歌詞をリズムにはめ込むのが難しいが、まるっきり郷ひろみの真似でなんとか格好がついた。「夢一夜」はすんなり歌えるし、歌詞もスーッと入ってくる。南こうせつと声質が似ているので、一緒に合わせて歌うと、あたかも自分が歌っているような錯覚に陥る。自分もまんざらではないなと。兎も角、オリジナルの音源をそのままコピーする。フレージングや節回しなど出来るだけ同じようになるまで練習する。キーも変えない。その歌手になりきるのがポイントだ。
なんでもインターネットで調べられる時代。
歌詞は歌ネットで調べる。
ただ、著作権の問題があるのかコピペができないので、一旦手書きで書きだしてから、ワードにうちこんで自分用の歌詞カードを作っている。
ちなみに、現在までの歌詞カードは「ダンシング・オールナイト」「青空ひとりきり」「愛されてばかりいると」「恋の予感」「とまどうペリカン」「夢の途中」「セカンドラブ」「語り継ぐ愛」「シルエットロマンス」「今日でお別れ」「いいじゃないの幸せならば」「檸檬」「バス・ストップ」「どうぞこのまま」「池上線」「いい日旅立ち」「群青」「哀愁のカサブランカ」「夢一夜」といったところ。
一週間で覚えることは覚えるが、すぐに忘れてしまう。反復練習をしていかなければ自分のものにはならないだろうが、とりあえず2曲でも3曲でもフルコーラス覚えて歌えるというのは楽しい。
そのうち発表の機会も作らなければ。
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DVDで「ある貴婦人の肖像」を観た
二コール・キッドマンが一番美しいころの映画ではないだろうか。「誘う女」が一番セクシーで、美しいと記憶の中にある。「ある貴婦人の肖像」は1996年の作品だからちょうど同じ時期の作品だ。
二コール・キッドマンが30歳前の作品だと思う。
筋が見えないところがあるが、美しいものを見たい人にはお勧めだ。
19世紀のイギリスの貴族の館。ローマの街や美術品や高価な家具調度に囲まれた暮らしぶり。優雅でゴージャスなファッション。
そして極め付きが二コール・キッドマンの美しさだ。
人の美醜の好みは個人差が大きい。
したがって、二コール・キッドマンを美人だと思わない人もいるだろうし、その人たちにとって、この映画が面白いかどうか疑問がないではない。
アメリカ生まれの二コール・キッドマン(イザベル)は両親が亡くなり、イギリスに住む叔父のもとに身を寄せる。
聡明で明るく美貌のイザベルに心をよせる男性は多く、従兄のラルフもその一人だ。
物語は、イザベルに求婚する貴族とそれを拒むイザベルのシーンから始まる。
この貴族は、容姿端麗で経歴をとっても財産からいっても非の打ちどころがない。
叔父もこの結婚には大賛成だ。
しかし、イザベルは結婚によって自由と自分の可能性が制限されることを嫌ってこの話を断る。
いかにもアメリカ育ちらしい自由闊達な性格ではあるが、結局は世間しらすだったのだろう。
なぜなら、誰もが勧め、周りが祝福してくれるであろう結婚を断った直後、とんでもない人と結婚してしまうのだ。
ひそかに思いをよせているが、肺を病んで長く生きられないことを知っている従兄のラルフもこの結婚には失望し、深く傷つく。
イザベルは叔父の死によって莫大な財産を受け継ぐ。実は、これもラルフが父親に以前から相談して取り計らったものだった。
この財産を狙って、オズモンドという似非美術収集家が接近してくるのだが、これを手引きしたのが叔父さんのところに出入りしているマダム・マールだ。
なぜ、イザベルが手もなく騙されて結婚に至ったのか、その辺は不自然に感じた。
自分の不幸を認めない、あるいは周りに見せたくないイザベルの姿は痛々しい。
あんな闊達な女性の変貌ぶりが胸に迫る。
オズワルドは如何にうまく立ち回り、自分の生活を豊かにし、自尊心を満足させるかしか考えていない人物だ。そこには愛とかぬくもりは一切ない。独占欲が強く自分の思い通りにならないものは許せない。
娘もその一人だ。娘を異常なほどかわいがるが、一方自分の言いつけにそむくことを許さない。
従兄のラルフの危篤の連絡に、すぐにイギリスに戻りたいと夫に頼むが、その必要はないといわれる。更に夫の娘が、前妻との子供ではなく、マダム・マールとの間にできた子供だということを知り、ひとつの決意を胸に、イギリスに帰る。
ラルフに逢うことができ、ラルフの思いを受け止める。ラルフの葬式を出した後イザベルはどのような道を選択するのか。そこで映画は終わる。
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DVDで「ジャスミンの花開く」を観た
激動の中国の時代を背景にして、三代にわたる女性の物語を、チャン・ツィーが熱演している。
茉・莉・花の三章からなり、それぞれの娘役をチャン・ツィーが、その母親役あるいは祖母役をジュアン・チェンが演じている。
第一の茉の章では、娘のチャン・ツィーが母親の反対を押し切って女優になり、一時華やかな場所に身を置くが、戦争の勃発とともに、映画会社の経営が立ちいかなくなり、自分の後ろ盾になってくれていた映画会社の社長にも捨てられ、家出同然に母親を捨てて出て行った家に戻ってくるというもの。
その時チャン・ツィーは社長の子を妊娠していた。
チャン・ツィーの母親も女手ひとつで必死に生きているが、寂しさの空隙を埋めるように男ができる。映画会社からほっぽり出されて出戻ったチャン・ツィーと母親とその男の微妙な空気が漂う家の中。
その男がチャン・ツィーに手を出す。その現場を目撃した母親は自殺する。
この章は華やかで、チャン・ツィーが最も美しく見える。チャイナドレスがとても素敵だ。
この時チャン・ツィーが産んだ子供が、第二の莉の章のヒロインだが、同じくチャン・ツィーが演じる。
同じく母親役はジュアン・チェンだ。
この章の背景は、共産党が台頭してきてブルジョアとプロレタリアートの対立がだんだん激しくなってきた時代だ。
ブルジョアとはいえないまでも、比較的裕福な環境で育った2代目チャン・ツィーだったが、労働階級の青年と熱い恋に落ちる。この映画のキーワードの一つでもあるが、やはり親の反対を押し切って、この青年と結婚する。やはり親を捨てるように出て行ってしまう。
しかし、育った環境の違いは如何ともしがたい。実家に逃げるように戻ってきてしまう。
離婚も覚悟の上だ。ところが夫が追いかけてきてくれた。
ここで、再び母親お加えた3人の生活が始まる。
チャン・ツィーに子供ができない。それを気に病むチャン・ツィー。
夫の愛情を失うのではないかと、常にそれを恐れている。
夫は気にすることはないと言ってくれる。どうしても子供がほしいなら、養女をもらうことにしようと。
そしてこの子供が、第三の花の章のヒロインだ。同じくチャン・ツィーが演じる。
第二章のチャン・ツィーは養女をかわいがる夫に嫉妬し、気がふれてしまう。夫は自殺し、チャン・ツィーも後を追う。(この辺は少し不確か、見損なっているかもしれない)
第三章のチャン・ツィーはおばあちゃんと二人暮らしだ。
このヒロインも恋をして、裏切られることになる。やはりおばあちゃんが反対したにもかかわらず、自分の意思を貫き通す。黙って籍を入れ、遠距離恋愛を続けるのだが、案の定裏切られる。
別れ話が出た時にはお腹の中に子供がいた。おばあちゃんは堕しなさいという。
一旦、病院へ行くものの、産む決心をする。
おばあちゃんが死に、たった一人になってしまうチャン・ツィー。
一人で出産の準備をするが、深夜急に産気づく。雨の中タクシーをさがすが、見つかるはずもない。
雨の中の出産シーンは圧巻だ。母娘の確執と愛情。女系の三代記は見応えがあった。
チャン・ツィーは美しいだけではない。

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ユーチューブでカラオケの練習
別に歌うあてがある訳でもないが、カラオケの練習をしている。
CDやMDを再生しながら、それに合わせて練習していたのが、パソコンを買い替えてからは、もっぱらユーチューブに合わせて練習している。こちらの方が断然効率的だし楽しい。
なんで、今までそうしなかったのか不思議なくらいだ。
持ち歌を歌うもの。他の歌手がカバーしているもの。レコーディングの音源やコンサートのステージの音源。様々な年代のもの。カラオケバージョンもあれば、へたくそな素人の投稿ビデオもある。
CDやMDをセットする手間もないし、快適で完全にはまっている。
今週練習しているのは、谷村真司の「群青」と「いい日旅立ち」だ。
この二曲は無意識に耳に入っているのか、割合にすぐ覚えられた。
改めて曲を覚えようと意識すると、詩の内容に自ずと注意が向いてくる。
そして、今まで気がつかなかった、詩の素晴らしさに感動することもしばしばだ。
谷村真司もいい詩を書く。
「群青」を練習するときに、神風特攻隊の戦闘シーンや出撃前の水杯のシーンなどを見る。
気持ちが何か締め付けられるような切なさを感じて、歌にも感情が乗り移る。
傍から見ていたらバカみたいなものだろう。実際、家族からのクレームがたびたび出る。
したがって、できるだけ小声で練習している。
歌(歌詞)は意識しないと覚えられない。
なぜ、カラオケの練習を始めたかというと、何一つ満足に歌える曲がないことに気づき、その不経済をもったいないと感じたからだ。
実際に何回もカラオケで歌っているのに一向に覚えない。なんとなく断片的には歌えるが、同じところを行ったり来たりするか、一番も二番もごちゃ混ぜになってしまっていたりする。カラオケのモニターに歌詞が映し出されないとまず歌えない。
これって、少し情けない。
最大の目的は、ボケの防止だ。100曲覚えようと思っている。
「いい日旅立ち」を山口百恵と一緒に歌っている映像がある。山口百恵のイメージは引退した時のままだ。しかし、谷村真司はびっくりするくらい若い。笑ってしまうぐらい若い。
歌がずば抜けてうまいことに変わりはないが。
山口百恵が歌っている「いい日旅立ち」も「秋桜」も谷村真司やさだまさしが歌っている方が好きだ。
シンガーソングライターが楽曲を他の歌手に提供しているケースが多々あるが、本家本元が歌うのはやはり一味違う。
来生たかおの「夢の途中」や「セカンドラブ」も薬師丸ひろ子や中森明菜より断然いい。
今日も11時では収まらなかった。もうじき12時。
早く寝なくては。お風呂をカット。
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4時半に歩く
今朝は寒かった。
4時半ごろ起きだして、ウォーキング。
この時は気合いが必要だ。躊躇したら起きれない。
満月に近い月が煌々とあたりを照らし、影をくっきり地面に刻んでいる。
さすがにこの時間だと誰にも会わない。
歩き始めて10分もすると、体が温まってくる。手袋をした指先までポカポカしてくる。
約3.6キロメートルの距離を35分ほどで歩く。
かなりのスピードだ。
少なくとも5時前でないと、後のスケジュールが狂ってくる。
昨日はブログに手間取って、寝たのが12時を少し回ってしまっていた。
なんとか11時ころに寝なくてはと思っているのだが、結構忙しい。
一応、ブログの方は800字以上1200字未満でまとめようと思っている。
だらだらと800字を埋めるのはそれほど時間もかからないが、内容のあるものを書くのはそれなりに時間がないとできない。そんなに時間が取れない中で、どの辺で折り合いをつけるかが問題だ。
なぜなら、内容もさることながら、毎日書くという作業そのものが重要だと思うからだ。
しばらくブログを休んでいた。
なかなか時間的にきついことと、パソコンの調子が悪かったこと、それに何よりも怠け心。
怠け心の裏に、ブログを書くスタンスが解らなくなったことも含まれる。
今でも明確ではない。
ただ、書くことにのみ意味を見つけようとしている。
書かなければ一歩も先には進めない気がして。
ただ、こまごました日常のことどもは、あくまでも自分のための備忘録と位置付けて、映画や本などの感想を主体に、自分を表現できたらいいと思っている。
結局あるものに対する批評や意見は、発言者の人となりの表出と同じことだから。
その人の本箱を見ると、人となりの想像がつく。聴いている音楽。好きな映画のジャンル。食べ物の好み。何をどのように書いてみても、自分の表出であり、自分をさらけ出していることになるのだが、意外と自分には自分のことが解らない。
こんな自分をどう思いますか。自分ってどんな人なんでしょうか。
自分の備忘録の部分と、他者に対するアッピール。
兎も角、書くことに無理やりにでも意味を見つけて続けていこう。
11時を過ぎてしまった。
明日も寒いらしいが、ウォーキングも頑張るぞ。
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